「私、パチンコで負けたことがないんです」
その女性はめんどくさそうに言った。
地元にあるカウンターだけの日本酒バー。友人と一緒に行った僕のたまたま隣に座っていた、ショートカットで黒目が大きな30代後半と思われる女性である。
「ただ今を精一杯生きる」という酒
三重県に「而今(じこん)」という日本酒がある。「過去に囚われず、未来にも囚われず、ただ今を精一杯生きる」という気持ちを込めて命名された酒である。
火入れで生の風味”を実現する次世代の筆頭
木屋正酒造(三重県名張市)
而今(じこん)而今は十四代、飛露喜に続く次世代の筆頭。酒銘には「過去にも未来にも囚われず、今をただ精一杯生きる」との意味があり、この精神のもとに6代目の蔵元、大西唯克(ただよし)氏が精魂を込めて醸すブランドです。伊賀山田錦、愛山、千本錦などを使って毎月違う種類を出荷しています。
日本酒ファン垂涎の的となっていて、現在は入手困難。個人で購入するのは難しいですが、日本酒に力を入れている飲食店なら、かなりの確率で出合えます。多少のプレミア価格が上乗せされている場合も多いですが、以降に飲む日本酒の基準になると考えれば安いもの。いちどは試してみて損はありません!
<「獺祭、十四代、而今――日本酒の流れを変えた歴史的な銘酒6選」より>
僕が「而今」に出会ったのは、伊勢神宮外宮参道にある日本酒バー。母親が鳥羽で倒れて伊勢の病院に運び込まれ、命に別条はなかったものの、祈らずにはいられないとお伊勢さんに詣った帰りに寄ったその店で、まったく知らずに飲んだのが馴れ初めである。
美味かった。そのときの僕の気分もあると思うが、「過去に囚われず、未来にも囚われず、ただ今を精一杯生きる」という意味の名前を含め、飲んでいきなり惚れ込んで、以来今日まで恋して止まない。
それを知ってか知らずか「そういえば岸さん、今日はいいの入ってますよ」とその晩マスターが出してくれたのが、「而今」のにごり酒!
「え、マジ? 而今ににごり酒なんてあったの? てか、これ、絶対ヤバいでしょ!」などと、逸る気持ちを抑えるように適当な言葉を口にしつつ目の前のグラスに白い液体が注がれるのを待ち、さぁどうぞ、と言われるが早いか僕は口から迎えに行った。
「くぅ、うめぇー」
液体が舌の上を通過した瞬間、頭の中が白く溶けるような快楽を覚え、思わず大きな声が出る。そしたら隣に座っていたその女性が「そのお酒はなんですか?」と聞いてきて、なんとなく会話が始まったのだ。
その女が負けない理由は…
最初のうちは日本酒トークだった。どの酒が美味いとか、こんな酒を飲んだことがある、などという日本酒好きが集えば100%出てくる会話だ。
杯を重ね、酒量が増えてくるうちに「へぇ、地元は和歌山なの」とか「独身だから毎晩飲み歩いてても平気なんだ」なんてプライベートな話も混じってきて、そしたら女性が「私、最近は毎日12時間以上寝てばかりいるんです」と笑いながら言うではないか。
「え? 寝てばかりいるって、それでどうやって生活してるの?」
僕は酔った勢いもあり、疑問に思ったことをストレートに聞いてしまった。
「うふふ、聞きたいですか? 誰かに面倒見てもらってるとか、そんな色っぽい話じゃないですよ。それでもいいですか? じゃあ、話します。私、パチンコで負けたことがないんです。目が覚めるとほぼ毎日打ちに行ってるんですが、負けたことがないからそれで生活できちゃうんですよね」
日本酒を語るときにはウキウキキラキラってカタカナがぴったりの感じで陽気に話していたその女性は、急にトーンダウンしてめんどくさそうに言い、グラスに残っていた日本酒を一気に空けた。
はいはい、この話はもう終わり、これ以上は聞かないでね。そんな空気がビンビンと伝わってきた。
だが、しかし!
聞かずにいられるわけないだろう。知りたいではないか、「パチンコに負けない秘訣」。体得できるなら未来は薔薇色に輝きだすし、それでなくても単純に知識として知ってみたい。
「それはすごいな。言える範囲でいいからさぁ、どうやってやるか教えてよ」
ゲスな顔にならないよう最大限に気をつけつつ、捨てられた子犬の目をして聞いてみた。女性は眼だけで僕を見て「一杯奢ってくれます?」と聞くから「はい、喜んで!」と手を打ちながら答えると、僕の声を聞いたマスターが新しいグラスに新しい日本酒を注ぎ女性に差し出し、そのグラスを受取った女性は僕の方に持ち上げながらこう言った。
「当たり台が呼ぶんです、私を」
なんだ、そこかよ、と、僕は女性のグラスに自分のグラスを合わせながら思った。ガッカリだ。いわゆるスピ系に持っていかれると納得できる論拠が出てくることはもう絶対にない。つまり「パチンコで負けない方法」は永遠に闇の中。
「へぇ〜当たり台に呼ばれるなんて、すごい能力だね」
僕はもう完全にその話題に興味をなくし、当たり障りのないことを言いつつ次の話に移ろうと思っていた。ところが、である!
まさにサブリミナルリンクではないか!
「岸さんってお仕事柄、たくさんの人に会われますよね。たくさんの人に会ってると、ひと目見た瞬間にこの人とは気が合いそうだとか、この人とは馬が合わないとか直感的に感じるようになるんじゃないですか? そうでしょ! そうですよね! それと一緒なんです。モノにだって相性があって、私は触るだけでそのモノが私にとって良いものかどうかわかるし、それを続けていたら自分にとって良いモノの方から私を呼ぶようになって、そしたらパチンコの当たり台も私を呼ぶようになったんです」
なんてことだ!
これはまさしく「サブリミナルリンク」の話ではないか!
サブリミナルリンク。つまり「無意識下の絆」。あなたにも初めての人に会った瞬間、その人のことを「何となく気があいそうだな」とか「なんか苦手かも」と感じたことがきっとあると思う。そしてその感じは往々にして正しいことが多かったと思う。
僕たちは、そうした力を持っているのだ。
いや、僕たちの無意識は、と言い直した方がいいな。
ハイデルベルク大学生理学研究所のマンフレート・ツィメルマン教授の研究によると、人間の意識できている情報量は毎秒77ビット程度。それに比べて無意識は毎秒1100万ビット! 意識できることの14万倍以上の情報を受け取っているのだ。
ドイツの生理学者トリンカーはさらにその上をいき「我々の目が見、耳が聞き、その他の感覚器官が伝える情報の100万分の1だけが意識に現れる」と言っている。
いずれにしても無意識が膨大な情報量を受取っていることは明らかで、無意識が受取った情報は意識の側で言葉にする前に「なんとなく」と言う感覚で現れる。
僕は「なんとなく」という感覚、つまりは無意識の力を信じている。信じているから、このブログ「サブリミナルリンク」を書いているし、だから女性の言葉にも共感することができる。ただ一点、モノにも無意識があるとしたら、だ。
気になった僕は「ちょっとごめん、スマホ触るね」と女性に言葉をかけてからスマホを取りだし、Google先生にお伺いを立て、ヒットしたサイトを開いてみた。
そもそも意識とは何か? すべての物質は無意識であり、その内側には生命もない。人間には意識があるが、脳という物質が作り出す幻のようなものである。
<「記憶と脳、集合的無意識」より>
なるほど。
これはとても興味深い。
モノの無意識との「サブリミナルリンク」。
探求を深めていく価値は充分にある。
僕は女性と連絡先を交換し、次にパチンコに行くとき同行させてもらうよう頼み込んだ。
「そうですね、気が向いたら連絡しますね」と躱されてしまったが、もし連絡がもらえて同行できる幸運に恵まれたら、どのように当たり台に呼ばれるのかしっかりと見てこようと思う。結果はまたここで報告をするので、たのしみに待ってて欲しい。
illustration たかみまさひろ